6月1日夜、忠さんが死んだ。
今、お悔やみから帰って来た。 中学の同級生。気のいい男だった。明るい気さくな男だった。
酒と美味い物に目のない男だった。 鉄と、ステン、アルミ溶接の日本一受賞の男だった。
美術加工の第一人者だった。 数年前本堂の花瓶の落し蓋を作ってもらった。とても難しい仕事である。
その事を北海道の佐長真隆法兄に話すと自分もほしいと言う。忠さんに依頼した。他の仕事を後回しにして二つ返事で引き受けてくれた。
それも花瓶の寸法を筆記した手紙を見て作った。 花瓶にピッタリ納まり、極寒の地でも絶対に裂ける事がないと言う。 太田君のお寺の花瓶の修理をした。他の溶接屋で断られたものだ。
2回目の入院の前にハ-レ-のスタンドを修理してもらった。
どこの店でも二の足を踏んだスタンドが忠さんの名人芸でよみがえった。
仕事のし過ぎ。いつ寝ていたんだ?いつも仕事をしていた。
早朝から夜中まで。 又一人いいヤツが俺の前からいなくなった。
腕のいい芸術家・日本一の職人が終わった。 残念だ。 俺が往くまで美味いモンでも食って一杯飲んで待ってろョ!忠さん!