哀 2

6月1日夜、忠さんが死んだ。

今、お悔やみから帰って来た。 中学の同級生。気のいい男だった。明るい気さくな男だった。
酒と美味い物に目IMG_0126のない男だった。 鉄と、ステン、アルミ溶接の日本一受賞の男だった。

美術加工の第一人者だった。 数年前本堂の花瓶の落し蓋を作ってもらった。とても難しい仕事である。

その事を北海道の佐長真隆法兄に話すと自分もほしいと言う。忠さんに依頼した。他の仕事を後回しにして二つ返事で引き受けてくれた。 IMG_0125

それも花瓶の寸法を筆記した手紙を見て作った。 花瓶にピッタリ納まり、極寒の地でも絶対に裂ける事がないと言う。 太田君のお寺の花瓶の修理をした。他の溶接屋で断られたものだ。
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2回目の入院の前にハ-レ-のスタンドを修理してもらった。

どこの店でも二の足を踏んだスタンドが忠さんの名人芸でよみがえった。

仕事のし過ぎ。いつ寝ていたんだ?いつも仕事をしていた。
早朝から夜中まで。 又一人いいヤツが俺の前からいなくなった。

腕のいい芸術家・日本一の職人が終わった。 残念だ。 俺が往くまで美味いモンでも食って一杯飲んで待ってろョ!忠さん!

哀 1

 

          5月30日 妙子が死んだ。
妙子のお寺

48歳。腎臓結石粉砕術にて入院中に心筋梗塞を引き起こし心不全での急逝。

妙子とは坊主仲間では特に古い付き合いである。    若くして親との別れ、本堂の移転新築他、女手一つで良くやった。本当に苦労を背負って生まれて来た妙子であった。
 

妙子の身体は病のデパ-トだった。病気の事は余り話さなかったが、密かに入退院を繰り返していた。 長い間随分苦しかっただろう。
だるい身体でも、いつも冗談が通じ、いいケンカ相手だった。

お勤めは冗談にでもうまいと言えなかったが、道具物(鳴り物)は抜群のセンスを持っていた。金の打ち方を一つだけ伝え忘れた。心残りだ。

妙子は退院予定日に死んだ。1組の稚児係りがいなくなった。 ケンカ相手がいなくなった。

妙子よ なぜ死んだ 久し振りに泣いた。 心の底からからつらかった。

お悔やみ、お通夜、葬儀、野辺。涙が止まらなかった。 妙子、お浄土は忙しかろう・・・。

如来様とケンカをしないようにナ! 俺が行くまで首を長くして待ってろョ!妙子。